自分に足りないものは一貫して信じられるもの

最近思うことがあります。自分の行動に一貫性がないような気がするのです。これに関しては成長に伴って変化していくものです。死ぬまで変わらない何かが欲しいということではありませんが、そういったものを持っている人は良いことだと思います。今回はそんな内容で書いていこうかなと思います。

 変わらない何かとは

今回私が言っている変わらない何かというのは、考え方や物事の捉え方、約束事などの話です。なぜこんなことを思ったかというと、ネットである記事を読んでいたときに、

亡くなった嫁さんと〇〇という約束をした。だから私はこれだけは守るんだ。

といった内容です。その約束はその人にとって非常に重要な要素です。下手すれば人格すらも変わってしまいます。というのも、「困っている人には優しくしてあげて」と約束した場合、その人がその約束を守ろうとする限りはとても優しい人になるでしょう。しかし性格を変えてしまうほどの約束をするのにはかなりの衝撃を受けるほどの何かが起こらなければ果たすことは出来ないかと思います。こういった体験が出来ている人はすごく辛いことだったかもしれませんが、とてもすばらしいことだと思います。

 

私の場合

 私の場合は完全に損得で何かを判断しています。選択肢がいくつもあるという場合は、その中で一番有益な、もしくは被害が少ないものを選んでいます。それがたとえ悪いことであっても、損得を天秤にかけて考えます。でもそれはあくまでも損得が分かっていることに限ります。2択でどちらも強烈に不幸になることや、被害が出る場合どちらを選ぶことが出来るでしょうか。もう勘に頼るしかないという感じになってしまいます。そこで自分の中で変わらない信念があればどうでしょうか。判断が難しい場合でも自分の信じているものをベースに考えれば、もし選んだ先が失敗だったとしても納得できるのかもしれません。生きていて後悔はしたくないと思いは誰でも持っていることでしょう。「あの時あのようにしていれば」と考えるなら「自分の信じている選択をした。選択は間違っていたけど間違っていなかった」と思えるほうが後腐れないでしょう。

 

 

宗教という一つの形

自分の中で信じている変わらない何かを持っているということは私にとっても大切なことだと思っていますが、それを大きくしたのが宗教だと思います。私は無宗教なので細かいところまでは分かりませんが、宗教は様々な教えを広めます。そういった教えが自分にとって合致した場合は入信するのだともいます。私は宗教を悪いとは思いませんが、それでも宗教の教えを自分の変わらない何かにしたいと思いません。変わらない何かとは自分自身の足で歩き、その中で特別なことが起こった先に得られるものだと思っています。だからいろんなことに触れて様々な考え方を持たなければいけないのだと思っています。

 

 

最後に

こういったものは欲しいと思っても手に入れられるものではないものです。ですから人生の中でビッグイベントが起きて、自分を変えてしまうほどの大きな信念を持てた人はうらやましいと思っています。年をとることに様々なことを考えられるようになりました。しかし、それも全て損得で考えているというのはなんだか寂しいような自分らしいというかとおもっていしまいます。今何もないのだからこのまま人生が終わってしまう可能性も十分考えられますが、明日そんな何かに気が付くかもしれません。そんな日が来るのが楽しみです。