使う立場と使われる立場は逆転する

使われる立場と、使う立場、どちらがいいですかと聞かれれば、間違いなく使う立場がいいですよね。使う側のほうが立場は上です。今不良であるなら、根暗な人、ぱっとしない人に「あれやれこれやれ」なんて命令されたら「ふざけるな」と怒るかと思います。しかし、この関係は必ず社会に出ると逆転します。

 立場の強さは人間的強さではない

不良がどんなに体を大きくし、威勢を良くし、人間的にも生物的にも強くなっても、人間社会では立場の強さにおいて何の役にも立ちません。もちろん、その風貌から女性へのアピールになったり、頼れる人という評価はもらえるかもしれませんが、友達間だけの話です。社会にでてからの強さは、社会的地位で決まります。地位は自分自身でどんなに努力しても付けることが出来ません。社会がつけるパラメータなのです。

 

不良の青年時代

学生時代であれば、不良の自分に怖いもの無し。クラスのみんなは自分にヘコヘコして、ご機嫌を伺い、そんな環境にいる自分は気持ちいいことは間違いないでしょう。そして思います。「俺は人の上に立つ人間だ」と。確かに現状は人の上に建つ人間だと思います。なぜ不良がクラスの頂点に立てるのでしょうか。それは比べるものが少ないからです。この「比べるものが少ない」ということに関しては別記事を書きますが、ただ「偉そう」というだけで頂点に立てるのが青年時代です。誰も社会的地位の力を所持していませんので、人間的強さだけで上下関係が決まります。しかし、社会的地位という力が加味された瞬間その関係は一瞬で逆転し、不良は使われる道を歩き続けるのです。

 

 

社会的地位の力

「別にパッとしないやつが社会的地位の力を得たって、俺には関係ないし、俺のほうが人間的に優れている」と思うでしょう。それは間違っていないです。生物的には間違いなく不良のほうが強いでしょう。しかし、それは人間が知能を持たず、猿と同じような生き物であればです。人間は社会の中で生活していきます。そんな社会で生きる人間にとって、社会的地位を持たないもを強いということは認めません。それは、人間的に弱い人たちが守っていかなければいけないことだからです。生物的に弱ければ当然社会的地位をかざして自分を強くします。その人がどんなに優れた不良を見たとしても、絶対に認めませんよね。「自分はパッとしない学生時代を送ってきた。不良は嫌いだった。やっと手に入れた強い立場を不良に渡してやるものか」と考えるわけです。もちろんそんな正直な言葉にはしないかもしれませんが、本質はこんな感じでしょう。ですので使う立場になるためにはある程度の社会的地位は絶対に必要なのです。

 

 

不良でありながら地位を得る

だからって不良をやめて、パッとしないグループに入り、ガリ勉君になって社会的地位を手に入れようというわけではないです。そんな極端な話はやめましょう。狙うはわかりますよね?「不良でありながら社会的地位ももらう」ということです。学生時代強く、気持ちい時代をすごし、更には社会でても強い立場を続けるのです。これこそが最強です。しかし、これを手にするにはそれなりの努力も必要でしょう。それなりの成績をとり、良い大学や専門学校などに行くといったルートを進まなければいけないのは間違いないのです。その辺をどうやってこなしていくというのは別の記事でも書いていますので読んでみてください。

 

最後に

何かを捨てて何かを得るということを目指すのは真に極めたい人がやることです。確かに不良をやりながら、大企業の頂点に立ったり、総理大臣になったりなんてことはちょっと不可能だと思います。しかし、この世界の上位側に食い込むことは不良出身でも可能です。不良はもともと要領はいいほうですからね。ですから、今不良をやっているのなら、少しだけ生活を変えてみようと考えて見ましょう。そして同じ不良仲間の中で自分が一番社会的地位が高い人間を目指しましょう。旧友と会ったとき、そんな自分を見せたらかっこいいとは思いませんか?目指すは不良でありながら社会的地位を手に入れるということです。