トラック追突事件の元凶となった男 これも生物の多様性?

最近ニュースを賑わしているトラック追突死亡事件。犯人の人間性は「本当に同じ人間なのか!?」と疑うほど悪く、様々語られています。この犯人のとっている行動は絶対に許せるものではないですが、昔聞いた興味深い話を思い出しましたのでその話をしていきます。

 生物としての多様性

生物がこの地上に存在し始めてから何億年も経っているといわれ、生物は現在まで様々な種類が存在しています。私たちはその歴史の中のほんの一瞬しか生きていないので進化の過程などはあまりピンと来ないでしょう。しかし、地球上でこれまでに起きた進化は様々な挑戦と失敗があったかと思います。

生物的な詳しい話は私は分かりませんが、私にその話をしてくれた人は生物関連に精通している方でした。生き物は多種多様です。同じ人間で見ても、様々な容姿だったり、体型、性格とそれこそ100人いれば100通りというわけです。例えばこの世界において完璧で最も望ましいという人間というものがあったとしましょう。この世に存在する全ての人間がその完璧といわれる人間だったら戦争も起きないし、効率的で更に繁栄させていけるのかもしれません。しかし実際にはそうはなりませんし、優秀といわれる人からその逆の人間もいます。どうしてこうなるかというと種の保存のために同じ生き物でも色んな性質の生き物が生まれます。それが多様性です。生き物は多様に存在するということをコントロールすることは出来ないので、様々なタイプが生まれるのです。

 

極端な例

極端な例を出しますが、足が早い人と遅い人がいます。人間としてどちらが優秀でしょうか?当然足が早い人の方が遅い人に比べて優秀だと思います。だから足が速くなって欲しいと願ったり、トレーニングを積んだりして何世代にもわたって足が速くなるように進化します。しかしそこに偶然というものが重なると、必ずしも足が速いことが優秀とはならない可能性が出てきます。

100人が同じ場所にいて、災害が起きました。90人は足が速く、10人が遅いとします。全員走って逃げ出します。足の早い人はあっという間にその場を離れていきますが突如ドーナツ型の巨大な瓦礫が降って来ました。足が速く先に移動していた人は全員つぶされてしまいました。

こんなことがあったらどうでしょうか。足が速かった人は全滅してしまいますが、足が遅かった人は生き残ります。こういった偶然はありえませんが、ではもう一度どちらが優れていたのかといわれると悩ましいところですね。これまでの地球ではこういったことが多々起きてきたと思います。体を大きくしすぎて絶滅したり生態系のバランスが崩れて絶滅したりとそういったことです。話が長くなりましたがようやく昔聴いた話をします。

 

 

犯罪者も多様性の一種

当時私はある残虐な事件の話をしました。その話を聞いた生物に精通していた人は、「確かに許せないことだけど、生物の多様性を考えればこういう人が存在するのも仕方がないこと」と言っていたのですね。上記で説明した足が早い人と遅い人の善悪バージョンです。私たちの善と悪は、法律によって判断することが多いです。犯罪を犯すような人は当然悪となるわけですが、生物的に考えればそれは必ずしも悪とはいえないということです。善人が絶滅し悪人だけが生き残ることが出来たというシチュエーションが来ることもあるかもしれません。その際、悪が存在しなければ、人間はそこで終わりということになります。ですのでトラック追突事件の元凶となった男はそういった多様性によって生まれた一つの形なのかも知れません。

 

 

しかし許されることではない

彼の存在は生き物として仕方がなかったとどれだけ言っても、許されるようなことではありません。わざと抜かされ追いかけては文句を言い、去った後の車の中ではめちゃくちゃ笑顔なんですって。もう本当に同じ人間かと思うほど狂っていると思います。人は法で定められた以上のことは行うことが出来ませんが、この人を野放しにしていていいのかと疑問に思います。昔聞いた多様性という話を思い出してもなお、あまりにも危険な存在なのではないかと感じてしまいます。

 

 

最後に

多様性からは絶対に逃れられないというのなら、これからも度々こういった人が現れることでしょう。今回は相手を死亡させたのでこのように大きく取り上げられていますが、こういった事件にならなければどこかで似たようなことを繰り返し続けていたと思います。

人が作った法とはこういった人間を排除、淘汰できるように作られているように感じます。悪いことはせずに、正しいことが出来る人間だけにしたいという願いもあるのかもしれません。しかし、生物の多様性としては悪人も絶対に必要なんだと説く人がいたとしてもちょっと賛成できません。存在してしまうというのは認めざるを得ませんが、必要とは思いません。悪を完全に排除したが故に人間が滅んでしまったということがあるとしたならそれは逆に誇ってよいことなのではないかとさえ思ってしまいます。人が気持ちよく生きていける世界が来て欲しいと願っています。