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車の運転が怖いと思うようになってきた

車、バイクの免許を取得してそれなりの年月がたちましたが、この二つは今でも私の趣味の代表格です。ドライブだったり、ツーリングだったり定期的に行っており、これらがなくなることは考えられません。そんな運転ということが最近怖いと思うようになりました。今回は何故怖いと思うようになったのか自分なりに分析してみたので話していきたいと思います。

 運転頻度について

私の運転頻度は、かなりそれなりに多いです。大体年間4万キロ程度走っているので、月換算で3300キロ。毎日100キロ以上走っているという計算になります。車の運転において上手い下手というのは、これまでの免許を取得してから何年たっているかということではありません。どれだけ継続的に車を走らせているかということになります。この毎日100キロ以上というのは当然、プライベートで運転しているということではなく、仕事上で運転しているということがほとんどです。走らせた距離=経験値 ということであれば私の経験値はそこそこ高く、経験値が高い=上手い ということであれば、公道を走ることにおいて怖いという感情は徐々に薄れていくとなりそうなのですが、私にとってはそうはなりませんでした。走れば走るほど恐怖が増すという感じです。

 

免許取たて

これまで、徒歩、自転車という交通手段しかなかった世界に始めて「バイク」という選択肢が生まれました。これによって行動範囲が拡大され、世界が変わったという記憶があります、そして数年後、車の免許を取得するわけですが、これまた雨などの天候に左右されることがなくなり、その快適さは革命と感じたものです。そんな免許を取って数年の間は少なからず怖いと思っていたと思います。運転自体も疲れるし、慣れていない分余計なところに注意してしまったりと無駄が多かったと思います。

 

 

運転が慣れてきた頃

この頃は年間2万キロ弱だったと思います。この頃になると、自分で運転が上手くなったと自覚できました。このときから車バイクは趣味ということもあり、当時の友達と比べても走らせている距離が段違いでした。そんなこともあり、周りからも、「あなたの運転は安心できる」という言葉をいただき、うれしかったのと同時に少し自慢でもありました。では免許をとったばかりのときと何が違うのかという話になりますが、これは慣れによって危険ポイントが明確になったからだと思います。そして今まで無駄に注意していた部分などは意味がないことと気が付いたということも有ると思います。例えばこの世に自分しか存在せず、自分しか道路を走っていないということであれば、他の車と事故を起こすことは絶対にありません。どこかにぶつけるということはあるかもしれませんが。ということで「止まれ」の交差点があったとしても止まる必要はないですし、どんなに飛ばしても問題ないでしょう。実際にはそんなことはありえないわけで、危ないから注意しなければいけないと法で決められている部分以外にも危険なポイントというものはたくさんあります。それがどう危険で、どう対処すべきなのかということが多く分かってきたのがこの時期だと思います。ですので、スピードを出すときは出し、危ないところは徐行するといった運転が可能になったといえます。この時期は、自分の技術がある程度の水準に達したと思ったということもあり、運転に恐怖はほとんどなかった状態だったと思います。

 

 

現在の状況

現在は上記でも話してきたとおり、年間4万キロくらい走っています。慣れてきた頃に比べても更に走らせてきたということもあり、その技術は更に向上したということは間違いありません。しかしこの向上した技術を持ったが故に怖いと思い始めるようになります。技術の向上と言っても、そんなに変わらないだろと思うかもしれません。実際に、サーキットを走らせるわけではないので、タイムを競っているわけではありません。ですので、公道でのハンドルを動かすだとか、アクセルブレーキ操作が上手いとかそういった話ではないのです。ではどんな技術が向上してきたかというと、情報処理能力です。慣れてきたところに獲得した技術といえば「危険ポイントの明確化」でした。それは反復して走ることで体に染み付いてきて、頭で考えるよりもシチュエーションだけでそれがなんとなく危ない可能性があるかどうかということが判断できるようになったわけです。そして更に運転を続けることにより、さらに多くの危険ポイントを判断できるようになります。これが複合的な状態になった場合、最近向上した情報処理能力の向上のおかげで別の視点での危険ポイントが見えてくるわけです。こんなことがいたるところで発生しています。運転すればするほど、危険の認識力と、情報処理能力が向上するほど、こういった今まで見えてこなかった「事故の可能性」が見えてきます。

 

 

運転が怖くなってしまった理由

これらは「危険」ということではなく、「可能性」なのです。ですから無視しても事故には直結しません。実際に、昔はこういった可能性にほとんど気がつかないで運転していたわけですが、事故を起こしたことはありませんでした。しかし、「可能性」であっても、頭で認識できるようになってしまうと非常に厄介です。ほんの僅かな可能性でも無視できなくなってしまいます。かといってその可能性を全てつぶすような運転をしたら大渋滞を作ってしまったりかえって危険な運転になってしまうでしょう。ですので頭で可能性を感じていても、その可能性を無視した運転になるということです。

例えば、信号のない交差点でこちらの進行方向が優先とします。左右に伸びる道は「止まれ」となっており、左右の確認を行ってから前進するわけですが、このとき優先側であるこちらとしては、左右のことはあまり気にしませんよね。相手は「止まれ」なんですから。しかしもしかしたら出てくるかもしれないですよね。それが「止まれ」無視なのか、気がつかなかったのかという部分はありますが。その「もし」という部分をどう処理するのかということです。その「もし」のために優先側のこちらが徐行したり、止まってしまったら自分の後ろは迷惑になりますし、逆に追突される可能性もあります。ですから基本的には止まることはせず、その可能性が残っていても無視して直進するかと思います。基本的にはこれと同じなのです。こういった分かりやすいものから、長年運転してきて気がついてしまったものまで数え切れないほどの可能性が公道には秘められているのです。その可能性に気が付けば気がつくほどドキドキするシーンが増えてくるのです。

 

 

安心できる道路

私にとって運転で一番安心できる場所は、高速道路です。高速道路は事故を起こした際のダメージは大きいですが、情報を処理する部分も下道に比べて圧倒的に少なくなります。ですので、下道で張り詰めていた気も、高速道路に乗るとふっと抜けます。この抜けたということ自体が危ないという話もありますが、別に何も考えないということではありません。下道に比べて圧倒的に考慮しなければいけない部分が少ないということです。

 

 

最後に

怖い怖いといっても、車の運転をやめるわけにはいきません。仕事でも使わなければいけないわけですし、趣味としても運転、旅行の移動手段なんかも車がなければ始まりません。しかし、怖いというのは変わらないことです。次の運転技術向上に対する目標は、この可能性にどう向き合っていくかという答えを見つけることです。これを克服することは絶対に不可能なのかもしれません。ですが、これからも運転を続ける以上、何か新しい技術を習得し、更に運転が上手くなることを願っています。